今日は仕事帰りによるつもりだったジムには行かずに買い物してのんびりする事に。
買い物して思わず見つけてしまったボンタンアメ。
![f:id:y-koke:20240622192007j:image f:id:y-koke:20240622192007j:image](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/y-koke/20240622/20240622192007.jpg)
このボンタンアメ。
月に一度顔見せに来ていた噂の父が好きだったキャラメルっぽいオヤツ。
私に息子ができた時何度か父に息子を合わせに行った時必ずのようにくれたオヤツだった。
父はもう亡くなっています。
そして私の立場や葬儀の時の私の旦那が通夜しか出席しなかった態度にも腹お立てたのだと思いますがお墓はたてないとの事だけしか聞いていないので今はどこに話かけるわけでもなく時々思い出し勝手に話しかけるくらいです。
今日ははじめてお酒を用意し勝手に気持ちとしては一緒に飲んでいます。
小学校中学年くらいまで月一回はきてくれてたと思う父もいつの間にか来なくなり私は母に生活費をもらいに行って来いと月一回3万円をもらいに父の家に行くようになりました。それは高校の途中まで続きました。それが嫌でバイトしてお金家に入れるからお父さんの所にお金もらいにもう行かない!と母に頼みやっと苦痛から解消しましたが本当に嫌な思い出です。多分1番思い出したくない思い出かも。
そんなに関わり合わなかった父ですがある言葉と、車の免許をとらせてくれた事は感謝です。まぁ同級生は高校卒業間際に学校終了後、学校から通ってました。その時は私はとらせてもらえなかったのですが就職した所が合わずに辞めて転職活動の時に就職するにも免許が必要な所が多く未成年の私は親の承諾が必死で母に頼むも、母は父に連絡して父が承諾してくれとることができました。はじめは
女のくせに!
と大正生まれの男の言葉ですよね。ブツブツ文句を言ってはいましたが承諾してくれたおかげでなんとか免許をとらせていただきました。つなぎで働いたバイトとの合間をみながら、補習のお金など工面しながらと大変な事もありましたがなんとか免許を取れました。
今車があるおかげで母を送迎出来てるし、隣町の職場まで行けています。今の職場はまだ交通機関が動いていない時間なので免許があるおかげです。たまのドライブやお買い物、登山などなど
そういう時、父を思い出し心の中で
ありがとうございます!
とつぶやいていました。あまり話をする事はなかったのですが1つだけ思い出す言葉があります。
1番の親不孝は親より先に死ぬことだ
と。多分この言葉がなかったらもう私はいなかったか、刑務所に入っていたかもしれない。
今後、順をおって書くと思いますがこの父の言葉がなかったら今の私はいませんでした。